1.5cm程度がどうした。
今日はまとめて数日分書きますよー。
その前にまずクレヨンしんちゃんの臼井先生の訃報から。
タイトルとかと相俟って変な感じですが、タイトルの意味は後々につながりますので。
結構長くなっちゃったので面倒という人は”続きはこちら”から日記に行ってください。
臼井先生の訃報を聞いた時、まずまず実感がなかったんですよね。
その段階ではまだ行方不明段階のことなんですけどね。
親や兄弟、祖母祖父、叔父叔母、従兄弟とか友人とか、そういう人っていつかは死ぬんだろうなぁって考えるんですよ。
たまに。
でも考えても考えてもその実感はわかなくて、
祖母がいないお正月はさみしそうだな。おせちが少し減るんだろうか、夏休みにも会えなくなるんだろうか。
兄貴がいない日常ってどんなだろ。今はもう別居しているからなぁ。でもたまに「飯食いに行こうや」って言ってくれるんだよな。あんなのがなくなるんだろうな。
親父と母はもう離婚しているけど不仲ってわけじゃないし、たまに会うし。親父のコーヒーは上手いしね。それが飲めなくなるんだろうか。
よくこの年齢の親子って仲が悪かったりするらしいけどどうなんだろう。うちはすごく仲がいいからわかんないわ。そんな感じでいるのにそれがなくなるのってすごく悲しいことなんじゃないのかな。
高校に入ってすっごい楽しい友人がいっぱいできた。どいつもこいつも死にそうな面なんかしてないし、いずれは死ぬなんざ考えても考えつかない。
くろさんやシンさんやシクルスさんやPさんや亀さんやyosさんやマシマロさん(日は浅いが)。ネットで仲良くなった人も決して少なくはない。
彼らが一様にいなくなる日が来る。
それは、
そんなのは全く想像できない。
祖父が死んだ時もそんな感じだった。
幼いころ一度会ったきりで、顔も声も全く知らない祖父が死んだのは1月22日。
ぎりぎり23だったかも知れない。
私の誕生日だ。
その訃報を聞いた時まったくと言っていいほど何も感じなかった。
その時ちょうど文花帖をやっていたのだが、急に母が泣きながら部屋に飛び込んできたのは今でも覚えている。
しかし自分は親を宥める余裕があるほど何も感じていなくて、それを漠然と自分の中で不快感を覚えながらも親を寝かしつけたのをしっかりと覚えている。
翌日四国に行き、実に16年ぶりに対面する祖父の顔を見て、死んでいるとは思えなかった。
優しそうな顔で、今にも寝息を立てそうなほど安らかな顔をしていた。
しかしその身体はまったくと言っていいほど体温を感じさせず、そして人としての重さではなく、ものとしての重さを感じた。
母から何度か聞いていた印象とはだいぶ違っていたのだが、不思議とこの人が母の親で私の祖父なんだなと納得することができた。
私が酒を飲めるようになってから、何度か願ったことだが、この祖父と杯を交わしたいと。その時本気で思った。
私の酒の異常な強さは祖父から来ているといわれたほどだ。
一度でいいから会話をしたかった。
その時はそう思った。
でも見るたびにまだ死んでいるようには思えなかった。
翌日、火葬されることになり、まだ生きているような顔をしている祖父の遺体を火葬場に連れて行った。
私はその祖父が、徐々に火葬室に送られていくのを見て、その時はじめて大いに困惑した。
まだ見ていたい。
まだ生きているみたいなのになぜ。
何故燃やそうとするのか。
思うたびに瞳からは涙がこぼれ行き、いつの間にか本気で泣いていた。
燃やすべきではない。
まだ生きている。
そんな考えばかりが頭の中で浮かび、祖父の優しそうな顔が浮かぶ。
これが初めての会合と言っていいだろうこの葬式。
故に私が思い浮かべる祖父の顔はその眠るように横たわる祖父の死に顔しかない。
それしか知らないのだから。
肉親が死んだというのにまったくと言っていいほど実感がなかった。
しかしその身体が失われると思ったとき、祖父が死ぬと思った。
嫌だと喚きはしなかった。
泣いて吠えもしなかった。
そうするには少し年を老いていた。
理解したくないのに理解を余儀なくして心を納めていく。
6年前に飼っていたペット(ニコ)が死んだ時はそのそばで泣いていた。
水泳大会から帰ってきて棺に入れられていたニコを見たとき一気に涙が出てきた。
燃やされていく時も同じように。
でもあの時とは違うのは理解をしていた。
小5の私も理解をしていたがそれを認めなかった。
でも今は違う。
理解して認めていた。
それでも止まらない涙に戸惑わざるを得なかった。
知覚者の死は予想以上に自分を狂わせる
臼井先生の行方不明。
初めは先生の死なんてものは想像できなかった。
明日や明後日になれば毛布にくるまって救助隊に助けられているか、文面でお騒がせしてすみませんでした的なテロップがニュース上で流れているか、そんなものだと思っていた。
でも臼井先生は亡くなられた。
現状でも実感はなく、大した感慨もない。
でも何か大きな穴が開いたようにどこかむなしくて、実感も感慨もないなんて言う割には先生のことを考えるたびにどこか虚しくて、悲しくて、なんか信じられなくて、考えられなくて…。
この5年か6年かはたまた4年か、クレヨンしんちゃんというテレビ番組はまったくもって見なかった。
中学の時、友人が遊びに来た時にクレヨンしんちゃんの漫画を買ってきていて、お前まだそれ読んでんのかよ。と少し馬鹿にしたことを覚えている。
中学に入ってからアニメなどの関心は薄れ、バラエティなどよりもニュースを優先して見たいという子供だった私はいつの間にかクレヨンしんちゃんがドラえもんの後から違う時間帯になったことを知らなかった。
ドラとクレしん。
あの組み合わせは子供たちの反面教師として非常にマッチしていたような気がする。
アニメでは反面教師として存在していた彼らも、映画となれば非常に勇気の溢れるいい役だった。
クレヨンしんちゃんの映画を見たことはあまりなかったが、スペシャルなどでよく特別版を見たりしていた。
中学校の時少し馬鹿にしていたクレヨンしんちゃんだが、今思い出せば非常に良くできていて面白かったと思う。
幼児なのにエロくて、可愛いかといわれればそうでも無くて、いたずらばかりしていて、でも憎めない。
正直今も見ようとは思わないが、幼かったころの私からしてみればとても面白いアニメだったし、それに影響された部分も少なくはないと思う。
無情なまでにあっけなく命を落とす生命。
それは残された者に大小何らかの傷跡を残す。
途中クレヨンしんちゃんを敬遠していた私だが、それでも先生がいなくなった事実はとても大きな、実感できないほど大きな傷痕を残して行ったようだ。
Pixivなんかを見ると、先生の残して行った傷跡の大きさがよくわかる。
二日連続して上位10位のうち8枚が臼井先生追悼式のタグをつけている。
今確認したら9枚だった。
それほどにすごかったのだろう。
美術の教科書にも載っていたものね。
アニメスタッフの方の「絶対止めたくない。」というコメントを見て、このアニメはこれからも続いていくんだなぁと。そう思いました。
無情なまでにあっけなく命を落とす生命。
それは残された者に大小何らかの傷跡を残す。
しかし同時に大きな影響を残していく。
その残したものの大きさは図れるものでなく、ましてや見れるものではない。
臼井先生は大きなものを残して行きましたねぇ。
罪なお方です。
クレヨンしんちゃんはこれからも色々な人に愛され続けていくのでしょう。
Pixivのタグで“天国に漫画を描きに行った男”というのがあって、それが非常にぐっときたものです。
臼井先生
今までいろいろな夢をありがとうございました。
そしてこれからもその夢は続いていくでしょう。
先生が残して行ったものは大きくて、簡単には収拾されないようです。
そんないいものを、残していただき、ありがとうございました。
…無意味に長くなってしまいました。
恐らく自分自身予想以上に臼井先生の死に無感動なのがショックだったのでしょう。
しかし、書いている間、どこか身体がむなしく感じていたのは気のせいではないと思います。
先にも書いたとおり、傷が大きすぎて気付けないんだろうね…。
ちなみに祖父のこと書いてた時普通に思い出し泣きしちゃったよ。
以下普通に日記です。
PR