現状の資料では魔女狩りの本当の真意はほとんど解明されていないらしい。
例えば、ドイツの歴史家は権力者や教会関係者の金銭目当てと提唱したが、被告のほとんどは財産を持たない貧しい人々だったということから信用性に足りず、
エジプト研究科はキリスト教の影で生き残っていた古代宗教を信じていた農民と考えたが、被告のほとんどはキリスト教徒、
アメリカのフェミニスト研究者は魔女とされた人々は女性医療師たちで、魔女の集会とは女性医療師たちによる情報交換の場であったと考え、魔女狩りとは世俗権力や教会の指導者たる男性たちによる女性医師への大規模な弾圧であったと言われたが、そのそも魔女狩りは民衆裁判が始まりだから、農民が医者を弾圧し始めたことに対する論が成り立たない。
魔女狩りは最初民衆裁判から起こったらしい。
その後に徐々にキリスト教の異端尋問になったんだが、それが始まったのは15世紀。
14世紀の1384年と1390年にミラノの異端尋問所に魔術を用いた容疑で訴えられた二人の女性に対して異端尋問所ではこの種の訴えを裁くことは出来ないと判断されているあたり、ステレオタイプである「1中世ヨーロッパにおいて12世紀のカタリ派の弾圧やテンプル騎士団への迫害以降にローマ教皇庁の主導によって異端尋問が活性化し、それに伴って教会の主導による魔女狩りが盛んにおこなわれるようになった」という見方は覆ることになるわけだ。
何故女性かというと、先ず一つに旧約聖書の出エジプト記、22章18節の「女性呪術師を生かしておいてはならない」という記述からだといわれている。
ここでいう女魔術師、原語ではメハシェファとは「魔法を掛ける」「魅惑する」という意味の動詞キシェフと語源を同じくする女性名詞らしい。
この魔術を行う女性という程の曖昧な表現が欽定訳清書(1611年)の編集時に「魔女」(witch)という言葉に訳されたことから始まるみたいだね。
そこから魔女狩りの聖書における根拠になりうると考えられたわけだ。
魔女として訴えられたのは町、村、若しくは近郊に住む女性で、貧しく教養がない、あるいは友人が少ないといった特徴を持つ人が多かったみたいだね。
そこから見るに社会的にいなくなっても大した価値のない女性が魔女狩りにあっていたと考えられる。
ただ、何故男性が混ざっていたかと言われると難しい物があるね。
研究者の中には男尊女卑からくる女性に対する敵視が魔女狩りの原動力の一つであるという人が多いからね。
女性へのホロコーストという言い方もある。
でもアイスランドでじゃ裁判を受けたものの80%が男性だったし、そのあたりに関しては詳しいことはまだ解っていないようだね。
それに白魔術に関しては寛容だった部分もあるし、教会や世俗権力が中央集権化した中世盛期に魔女と魔術を放置して、近世初期になって突如魔女狩りが起こったのかも解らない。
どうやら、キリスト教誕生以降女性迫害が増えたようでもあるし、現代になっても何故魔女狩りがああも広域にわたって広がったのか解らないようだね。
他にも面白い傾向があってね。
魔女狩りが起きた地域はカトリック・プロテスタントと言った宗派は問わないところがあって、強力な統治者が安定して統治を行う大規模な領邦では激化せず、小領邦ほど激しい魔女狩りが行われたらしいね。
理由としては、小領邦の支配者程社会不安に対する心理的耐性が弱く、魔女狩りを求める民衆の声に動かされたことが考えられるみたいだ。
時期で見ると16世紀から17世紀、限定すると1590年代、1630年ごろ、1660年代などが魔女狩りのピークで、それ以外の時期にはそれほどひどい魔女狩りは見られなかったらしい。
地域で見るとフランスは同じ国内でも地域差があり、ドイツでは領邦ごとの君主の考えで魔女狩りの様相に違いが、イタリア、ヴェネツィアでは裁判は多かったものの、鞭打ちで釈放され、処刑はほとんどない。
スウェーデンでは強力な王権のもとで裁判手続きが厳守されており、三十年戦争期には占領したドイツ領邦で魔女狩りを抑止していたが、17世紀ごろに大規模な魔女狩りが発生。
スペインでは異端尋問こそ行われていたけど、魔女狩りに発展することは無かった。
オランダでは1610年以降魔女裁判は無い。
ポーランド、少し遅れて18世紀のハンガリーでは激しい魔女狩りが起り、イングランドでは1590年代がピークだったがすぐに衰退。
隣接し、17世紀以後に同君連合を形成していたスコットランドでは1560年代から1660年代と名が気にわたって魔女狩りが行われ、一方アイルランドではほとんど見られない。
同じグレートブリテンおよび北部アイルランド連邦内でも大きく様相が違う。
北アメリカの植民地ではあまり見られなかったものの、1692年ニューイングランドのセイラムで起こった大規模な魔女騒動(セイラム魔女裁判)が例外的な事件。
ちなみに犠牲者の数は研究者の見解一致では1428年から1782年までで4万人。
魔女狩りによって魔女の手先とされていた猫を大虐殺して、ネズミが大発生して、ネズミによって運ばれたペスト菌でペストが大流行したという説があるが、ヨーロッパでペストが大流行したのは魔女狩りが頻繁に行われるようになった300年前なのであまり関係は無い。
魔女狩りの理由として見解が固まっているのは、当時のヨーロッパを覆った宗教的、社会的大変動が人々を精神的な不安に陥れ、庶民のパワーと権力者の意向が一致したことで魔女狩りが発生したということかな。
ここからは私の私論だけど、恐らく女性が主に狙われたのは前述の通りと、後は食いぶちを減らすためのスケープゴートだったんじゃないだろうか?
当時のヨーロッパではペストが流行っていたということと、主食の小麦には麦角(ばっかく)という生物が生息していたんだよ。
菌類の一種で、食すと奇形児が生まれたり、精神に異常を来したりするんだけどね。
麻薬のLSDの母体にもなってる。
奇形児程、というか人間なまじ目がいい分、かたちに異常があるものに凄い敏感なわけで、精神が錯乱したものや異常分娩で生まれた子供が奇形であれば、人ならざる者の仕業とか重い感でも仕方がない。
それが勝手に魔女の所為だとしたのが始まりかも知れないね。
男が犠牲になった理由。
これに関しても私論だけど、もしかしたらその奇形児の親、または食いぶちを減らすための不良児や無職のものだったのかもしれん。
魔女狩りで知っているのはこんなもの。
お役に立てていれば良いけどね。
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